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○○世代とは言わせない

小松校

昔から社会は自分より下の世代のことを”〇〇世代”と好き勝手に呼んできました。古くは1947~1949年生まれの戦後ベビーブームで生まれた大量の「団塊世代」、1960年~1970年代生まれは話も通じない人間という意味をこめて「新人類世代」、1980年代~90年代初頭を謳歌したものは華やかな消費生活にも慣れきった「バブル世代」、1990年代~2000年代前半に教育を受けたものは学習内容や常識に欠落があると揶揄される「ゆとり世代」、そして1995年以降に生まれたものは生まれながらにデジタル機器に囲まれた「Z世代」、あるいはバブル崩壊以降の停滞した日本社会のなかで育ってきたため無欲で安定志向の「さとり世代」などと呼ばれたりします。

たいていの場合、呼ばれる世代の側からしたら不愉快極まりないことが多いです。好きでその時代を選んで生まれてきたわけではないし、たとえ自分自身がその世代の特徴にあてはまっていなくても、「あなたは〇〇世代だから」と一律に烙印を押されて評価されるのは自分自身という個性を否定されて「世代」という窮屈な箱に押し込められるような感覚になります。私自身、〇〇世代と勝手に決めつける社会に一泡吹かせてやろう、とその世代の時流と真っ向から反する態度に出ることを生きる上でのひとつの信条としてきました🔥

〇〇世代と呼ばれることにはある社会的なイベントが影響を与えることが多いかと思いますが、そういった意味で今を生きる人たちは不本意かもしれませんがみな「コロナ世代」と呼ばれうるかもしれません🤔

今の中高生はコロナ禍の影響を最も受けた世代です。小中学校で本格的に英語を学び始める時に飛沫防止のため英語の発音練習を制限され対面でコミュニケーションする機会も奪われ,自宅学習によって習熟度も確認されないまま学校では学力の欠損があってもやむなく進まざるを得ない状態だったと思います。言語というものが発声とコミュニケーションによって上達するものであることを考えるとこれは大きな痛手と言わざるを得ません。

最近英語を教えていてリスニングや発音が明らかに苦手な生徒が多いのも,初等・中等教育でオーラル(口頭の)コミュニケーションを制限されていたことと無関係ではないように思えます。コロナ禍では皆が大変な思いをしましたが,目に見えないところで深い傷を負っていたのは誰か。多くの大人たちは結果だけを見て判断することに慣れているため,子どもたちに対して残した見えない傷痕に対してはあまりにも無自覚です。

私はコロナ禍では東京にいましたが当時東京でもコロナ禍の前までは元気に発言していた小学生たちが感染が拡大するにつれてマスクの着用を強要され,あっという間に沈黙の教室に変わってしまったのを覚えています。子どもたちのおびえたような、恨めしいような目が今でも忘れられずに胸をしめつけています。オンラインでの受講に切り替わり,教育のICT化も進んだという利点もあるじゃないか,といえば聞こえはいいですがスクリーンを通した授業に慣れてしまう弊害も決して見逃してはいけないと思います。

アフターコロナでは対面授業にもどり目の前で双方向的(interactive)な問いかけができるようになったものの、まるでスクリーンを一枚隔てて画面を見つめるようなボーっとした表情で問いかけに対しても反応が遅くなっている生徒が明らかに多くなったと感じられました。一番若さと活力にあふれているはずの中高生の時代に成長への熱意を吹き込んであげられないもどかしさを常に感じていました。

もちろんこういったことは当然子どもたちのせいではありません。大人が勝手に決めたことで社会情勢上仕方がなかったことでもあります。しかし「だから『コロナ世代』は学力も低いし、無気力だよね。不幸な世代だったんだからしょうがないよね。」といった大人たちの評価を言い訳としてそのまま使ってもいいものでしょうか。

私はそういった言い方をされること自体が悔しくてたまりません。いつの時代も社会は子どもの思考や自由を奪い、型にはめて制御しやすいようにします(だから〇〇世代と名付けて評価したくなるのでしょう)。抵抗しなけばますます自由は狭まっていくだけなので、抵抗しないほうにだって責任はあるのです。もはや疫病は過ぎ去ったのだから、思う存分勉強して活発に声を上げて行動することが、不必要な憐みに対する「抵抗の宣言」になるのではないでしょうか。

困難を経験している世代だということは”粘り強さ”があるという長所もあります。高3のF君は前期入試は残念だったものの、最後の最後まで諦めず先日後期入試で見事合格を勝ち取りました。ふだんは物静かで冷静ですが、わざわざおみやげを持って合格報告に来てくれた時はにやりと笑みもこぼれ、喜びの勝鬨がしっかりと伝わってきました。周りが合格を決めていくなか不安だったと思いますが、厳寒を耐え抜いて咲いた満開の桜のごとく”粘り強さ”の勝利だったと思います。同じく高3のS君は中3の頃はコロナ明けで無気力で目もうつろでしたが、育英でやりきった今は見違えるぐらい目も輝き、自分の意見もしっかりと表明できる精悍な青年へと成長しました。そして先日、合格した大学から特待生の資格を付与されたと親御さんと報告に来てくれました。今では将来の夢も見つかり、日々邁進するのみです。一番苦しんだ人が一番幸福になる権利がありますし、また絶対に幸福にならなくてはいけません✨

パニックとともにはじまりぼんやりと終わったコロナ禍ではあらゆる楽しみを制限されてきたことと思います。お祭りも昨年までは3年間も出店が中止だったということも聞き、切なくなりました😢今年卒業する塾生たちには大学でも学問研究を根本にすることは当然のことながら、今まで挑戦できなかった新たな経験を思い切りしてほしいと心から願います。この先どんな困難があっても、人はみな人と触れ合って心を通わせることで幸福を感じるようにできているし、君たちの人生も青春も、まだまだ始まったばかりなのだから!🌸

春期講習生まだまだ受付中のコースもあります。小学生も、中学生も、高校生も新学年に向けて最高のスタートを切れるように一緒に頑張りましょう💪🏻

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