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高みを目指すということ🗻

小松校

昭和期の小説家である新田次郎の作品に『芙蓉(ふよう)の人』というものがあります(私は学生時代に小説しか読んだことがありませんが何度かテレビドラマ化されているそうです。)

 

時代は明治25年(1892年)という日清戦争前夜の時期であり,日本の気象予報の精度は欧米諸国と比べていまだ低い状態でした。正確な天気を把握するために、日本で最も高い位置にある富士山の山頂に観測所を設置しようと、野中到(いたる)は冬の富士山の登頂を決意します。冬の富士山は入山が禁止されるほど猛吹雪が襲うこの世の地獄です。何とか到達するものの極寒の環境に耐えきれず体調を崩し,これ以上の気象観測の継続が困難となります。その知らせを聞いた夫人の千代子は夫を助けるため山登りの猛特訓を重ね,幼い我が子を残したまま,当時誰もが不可能だと考えていた冬の富士山への登頂に成功し,夫婦そろって史上初の冬の富士山からの気象観測に成功します。夢の実現のために,信念を曲げなかった実話に基づいた夫婦の物語ですので気になる方はぜひ一読をおすすめします。

 

夫婦が命がけで富士の山頂を目指したのは日本で最も高いところから観測することによって気象予報の可能性が広がるからです。この命がけの行為と比べるのはいささか失礼かもしれませんが,高校や大学を選ぶ時もより高みを目指すことが自身の可能性を切り拓くことにつながるのではないでしょうか。自分の手の届く行ける範囲でいいからと,最小限の努力でいかにコスパよく切り抜けるかということしか考えていない人には,いざ人生の難局に遭遇した時に切り抜けるだけの実力が身につきません。

 

例えば,東大を目指す人で最初から東大に行ける学力がすでにあるという人はほとんどいないと思います。毎年,国語の文章などは要約問題も含めて本当にいい問題を出すなと思いますが,初めからあの文章を読み砕いて自分の言葉で要約できる人はいません。それは一般的な10代にとっては日常的に使う言葉からあまりにもかけ離れた語彙が文章中に使われており,なおかつそうした言葉を自分のものとして論理的に表現するにはまず適切な訓練が必要だからです。東大を目指そうとしなければそうした訓練をする必要はありませんが,東大を目指すからにはいやでも過去問を通じてその水準に達しなければ合格できません。東大でなくても難関大と言われるところは膨大な演習をこなさないとまず合格できないように試験を作っていますから,膨大な過去問をこなすことによって結果的に適切に学んだことを運用する力が身につくのです。最初から賢かった人が東大に合格するのではなく,東大を目指す決意をして行動する人が結果的に東大に合格するぐらい賢くなる,という通常考えられる因果関係が逆転したものがより実態に近い気がします。受験を通じた最大の成果は,必ずしも志望校合格という目に見える結果ではなく,受験を通じて身につけた,将来の人生を生き抜いていくために必要な一生ものの知的体力と強靭な精神を手に入れられることにほかなりません。知的体力がないものには社会に出た時に大きな仕事を成し遂げることができません。現状の立場にとらわれずやはりまずは高みを目指して一歩踏み出す勇気が重要だと思いませんか。

 

冬の富士山への登頂は誰にとっても不可能に思われました。高みを目指せば目指すほど馬鹿にされて悔しい思いをしたり,思うような結果が出ず,自分の非力さに打ちのめされることもあるでしょう。しかし山頂を目指すほど空気も薄くなり,烈風が吹くのと同じです。山頂を目指すために鍛えた脚力と精神は今後の人生においてまぎれもない財産となることはまちがいありません。眼下に広がる景色は実際に登攀(とうはん)したものしか眺めることはできません。勉強することを、挑戦することを馬鹿にするものなど大鷲(おおわし)のごとく高みから悠々と見下ろす境地になればよいのです。先導はわれわれが務めますし、孤独な山登りにはさせません。どうせ登るなら一緒に富士の高嶺を目指してみませんか?

写真は静岡出身のO石先生の提供です。やはり富士の山はどこから見ても日本一の高さと美しさを誇っています✨

 

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